自由に生きることを、自分に許す事は、なかなかに難しいことなのかもしれない。
それ以上に、自分という人間を知り、認め、自分自身のすべてを許すことは、もっと難しい。
案外「自分のこと」というのは、この世の何よりもさっぱり分からなかったりする。
次の瞬間にどんな気分になって、それでどう感じ、どんな動きをするのか。
この先どんな選択をし、どの道を進むのか。先行き不透明で見えないし、
わたし自身「どうなるのやら」といつも思っている(それを楽しんでいる部分もある)
これまでの人生で一度たりとも頭をよぎったことも考えたこともなかったようなアイディアや選択肢を、その一時間後にはアクションとして起こしていたりして、その瞬発力と行動力には自分でも結構驚く。突然どうした自分?と、そういう時が、時々ある。
これまでは
自分のこの面倒臭い思考回路を「わかる人にだけ伝わればそれでいい」と思ってきたし、
アトリエHPも作品も「求めてくださる方に届けばそれでいい」というスタンスでやってきた。
しかしそれが、変化しはじめた。
これまでは
自分がこの5年で生んできた過去の作品達も「でもまだまだまだこんなんじゃダメ」と
一つとして100%納得のいく作品は生めてこなかった。と思っていた。
それはそれでもちろん間違いなどではない。
そう制限してきたからこそ5年追い求め続けてこれたという部分も確かにある。
しかし最近、過去に作品画像をあらためてじっくり見返す機会があって
驚いた。
うっ・・・・美しいじゃないか・・・!
はぁ・・・綺麗だ・・・・・(うっとり)
となったのだ。
これまでは「綺麗だ…けどまだまだだ。こんなんじゃダメだ」と厳しく即否定であったのに。

(あらためて見たら心底美しいと感じた作品例)

これは一体、わたしの中で何が変わったのだろう。
相変わらず目指す場所はブレていないし、
納得のいく作品を!という想いももちろん変わっていない。
そこから自分自身を、感情や思考を、よくよく観察してみると
あ、これは箍(自分自身を縛る制限)が外れたってやつだ…と。
他の感情や意識と混同せずに、ただただ純粋に美しいものを「美しい」と素直に感じられる心が、ようやく芽生え始めてきたのかもしれない。
きっかけはおそらく・・・
***
わたしは割と単純なタイプなので、調子に乗ったりピノキオにならないように、褒められても素直に受け取れなかったりすることが多かったのです。
そんなはずはない、まだここがダメだし完璧じゃないといつも自分を厳しくきつく戒めがち。
しかしそれは最近になって、間違っていると気がついたのだ。
例えるなら、相手が素直な気持ちで贈ってくれたプレゼントを、
いやいやいただけませんと拒否しているようなものだ。
相手の好意を突っぱねるなんてまず失礼極まりないし、
そんな人にはもう贈るもんかと相手は思うでしょう。
この人に贈ってもどうせ受け取ってもらえない、となる。
受け取らない人には、そのうち何も来なくなる。
贈り物だって、お金だって、褒め言葉だって、幸せだって、ラッキーチャンスだって、おなじ。
ありがたく、受け入れる。ありがたく、頂戴する。
自分の想いばかりに意識をフォーカスするのではなく、
相手の心を思いやることにフォーカス出来れば、これは難しいことではないことがわかった。

この可愛らしい写真 ↑
なんと素敵なのでしょう!
このお写真を提供してくださったのは-atelier-公夢印さま。
Sugar Pumpkinsというテディベアブランドを成されています。
https://www.instagram.com/sugar_pumpkins86/
先日オーダーメイドのご依頼いただき、その際、言葉の、心の交流をさせていただいた。
結果的にそれが、わたしの中で(良い意味で)箍が外れる機となったように思う。
ものつくりの楽しさや幸せはもちろん。
しかし反面、天賦の才なんかじゃ全然ないから、苦しみや恐れも確実にあって。
それでも夢や、情熱や、見据えた世界観があって。
こんな風になったら素敵だな、という未来を諦めたくなくて。
だからこそずっと、そんな風にどこか似ている私たちは、これまでそれぞれに孤高奮闘してきた。
そんな私たちは、ご縁があって製作者と依頼主というかたちで出会い、
ジャンルは違えど共に戦う同志であることや、恐れや苦しみの感情も含めた世界観を共有することができ、結果的にお互いがお互いの存在に勇気づけられるという、素晴らしい経験をしたのでした。
心から思いました。
「こんなのって、ギフトでしかない」
その方の紡ぐ一言一言は、私の心をやさしく掬い上げ、綺麗にしてくれたのだと思います。
届いて1番にあまりの美しさに太陽に掲げて見ました。
素晴らしいの一言です。 時間と空間、想像と創造。全てを閉じ込めたオルゴナイト。
これは長い年月をかけて生まれた鉱石に 匹敵する、人間が生み出した錬金術の様な宝石です。

素敵な言の葉とお写真 ありがとうございました
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自分以外の事の方が、わかりやすかったりしますよね。
つまり、他者と関わり心を通わせる事ではじめて自分が見えることがある、ということ。
ひとりでは見えなかったものが、他者からみたら案外わかりやすいことかもしれない。
だからこそ、他者の声に耳を傾ける。
特に自分を想って発してくれたであろう言葉(=Gift)は、ありがたく頂戴すること。
自分自身に「良いよ◎」って丸を掲げて、
さらに(自分の)背中を押してあげられるようになりたいのなら
自分をよく知り、受け入れ認めて、許してあげること。
そしてそれをできるようになるには・・・
「ひとり」では限界がありそうですね。
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・・・ただし
「誰と繋がるか」「信じるか」という見極めは重要。
ここを間違うと、大変です。
(それすらも必要だから起こることなのだけれど)
このことについては、またいずれ。
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(わたしごと)
また長くなってしまいました…
なんとなく纏まりきれていないし…
まあ要素はいっぱい盛り込んだから、今日のところはこの辺で。
読者的にはもううんざりでそのうち誰も来なくなるのかしら。
何言ってんだこいつ…???って人も多いんだろうなぁ。
まぁそれはそれで。
頭の中の回路が、まるで生命の樹のように枝葉がたくさん分かれていて、
でも全てが繋がっているから、どうしても次第に「これとこれが繋がる」ってなっていって、
結果どんどん話が長くなってしまいます。
簡潔に表現できるようになりたいので、まぁ修行と思って今後も書いていきます。
それにしても、
アウトプットするとすごく落ち着く〜( ´∀`)
良い機会なのかもしれないなブログは本当に。
「書かなきゃならないもの」じゃ続かないんだろうな。
「アウトプットする機会」だと認識すれば良さそうだ。
そういえば昔の知り合いがわたしのブログを「精神世界」ってコメントくれたのだけど、
いやいや(笑)はい?どの辺が?ってなりましたよ。
(中身読んだのか読んでないのか知らないけど)
いやリアルだから。現実だから。…なんだかなぁ。ぜんっぜん伝わんないなぁ。
もう多分なにもかもが違う世界にお互い生きてんだろうなぁ。
それとも言葉の紡ぎ方が悪いのかなぁ。
ま、精進します。
必要な人に届きますように(このスタンスは相変わらずです)
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あと最後にお知らせです
昨日、アトリエRtamのYouTubeチャンネルを開設しました!
このご時世ですから少しでも美しい作品たちや音楽に癒されて心穏やかにお過ごしいただけたら幸いです。
リモートワークや家事のBGMとしても皆様のお役に立てるようこれから少しずつ動画数を増やしていきたいと思います。
(とはいえ編集ソフトがめちゃくちゃ調子悪い…いいところでフリーズするのやめて)
よろしければチャンネル登録をお願いいたします。
#atelierrtam #riublog